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Financier!

フィナンシェ ヒストリア

financier historia

「フィナンシェ(仏語: financier)は、フランス起源のバターケーキまたはそれに準ずる焼き菓子の一種を指す。
フィナンシェの由来については諸説あるが、17世紀にロレーヌ地方の中心地、芸術文化が花開いた街、ナンシーの「聖母訪問教会」”L’ordre des Visitandines”の修道女によって作られた焼き菓子を起源とする。その当時教会によく飾られた宗教絵画で主流だったのは「テンペラ画」という絵でした。その画法は、絵の具に卵黄を使用していたため、大量の卵白が余ったとのこと。そこで修道女たちは、その余った卵白を使ってお菓子を作ることを発意。そのお菓子が聖母訪問会(ヴィジタシオン)から流布したことから「ヴィジタンディーヌ」と呼ばれるようになり、現在のフィナンシェの原型とされている。

因みに当時は、まだバターやアーモンドプードルは貴重な品々であり、庶民的の手には届かず、教会などの一部だけで作られた稀少なお菓子だったようである。

19世紀に入ってさらにこの焼き菓子は、パリはサン・ドゥニ通りの菓子職人、ラヌが売り出すことにより、界隈の人々の耳目を集めることとなる。小さな台形の金型で模られたお菓子は、黄金色に焼き上げられその見目好い姿が金塊に似ていることから、この近くの金融街で働く人々は、フランス語で「金融家」「お金持ち」の意を持つ“フィナンシェ”と持て囃し、験を担いだのである。また証券取引所に出入りする連中たちが、背広を汚さず忙しい合間にも片手で手軽に食べられることから、広まったものともいわれている。いすれにしても瞬く間に「フィナンシェ」は、その形をした焼き菓子の代名詞となったのである。

他の菓子に比べてシンプルでいささか地味に見える焼き菓子だが、これをもっと美味しそうに見せようと、金塊型の天地をあえてひっくり返し、ふっくらと膨らみ割れながら焼き上がった表面を上向きにしたのが、わが国ならではのフィナンシェである。この逆転の発想を最初に商品化したのが、1969年より兵庫県は芦屋に店を構える「アンリ・シャルパンティエ」。この店が日本のフィナンシェを今のスタイルにした先駆者と伝え聞く。

あえて焦がしバターにせず、柔らかなバターの風味をそのまま生地に表わしたしっとり感、またアーモンドの香ばしい香りを際立たせたフィナンシェは、正に日本人の好む食感と味を生み出し、あれよと言う間に全国に広まっていった。時を経て時代は令和、今一周回って「フィナンシェ」ブーム再来の兆しを見せている。