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続・フィナンシェヒストリア

以前にも「フィナンシェ倶楽部」HP内のフィナンシェヒストリアで諸説ご紹介しましたが、こんなお話もあります。そこでは、17世紀にロレーヌ地方の中心地、芸術文化が花開いた街、ナンシーの「聖母訪問教会」”L’ordre des Visitandines” の修道女によって作られた焼き菓子を起源とする。と記しましたが、そもそも修道院では菜食主義が基本となっており、お肉を食すことは禁じられていました。

戒律では、1日の食事量の基準が定められており、パンは1日1リブラ(約300g)、飲み物は1日1ヘミナ(約0.75l)とされており、栄養価が十分にとれないこともあり、この栄養価の代替摂取にアーモンドを用いたお菓子が考えられたという説です。

その当時、教会によく飾られた宗教絵画で主流だったのが「テンペラ画」という絵で、その画法は絵の具に卵黄を使用していたこともあり、大量の卵白が余ったといいます。そこで修道女たちが、その余った卵白を使ってお菓子を作ることを発意したという説も、ヒストリアに書かせて頂きました。このアーモンドと卵白の出会いは実に面白いお話です。

その後、19世紀中頃になると、モンサンミッシェルの観光起点とも言える、ブルターニュ地域圏の首府レンヌで、「ラ・フィナンシェール」と呼ばれるお菓子が誕生したという説もあります。何故かカヌレ型で焼いた、表面をバニラでグラサージュしていたものが流行っていたとか。

この地方は酪農にも適しており、乳質のいい牛にも恵まれ、良質なのバターもでき、また塩の満ち引きも大きく、良質なゲランド塩も採れるため、ここでは有塩バターが多く作られます。キャラメルブールサレ(塩キャラメル)もこの地方で生まれたと聞けば、納得です。