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フィナンシェの発祥「ヴィジタンディーヌ」を紐解くヒストリア~おさらい編#1

そもそも「ヴィジタンディーヌ(Visitandine)」の語源は、1610年にジュネーヴ司教の(※カトリック教会の聖職者の階級の一つ)フランシスコ・サレジオと貴族夫人のジャンヌ・ド・シャンタルによってフランス南東部サヴォワ(サヴォイア)のアヌシーで創設された「聖母訪問会(Ordre de la Visitation)」のことです。名称は聖母マリアのエリザベト訪問(新約聖書ルカ福音書第1章39節-56節)の故事にちなんでいるそうですが、この流れを汲むフランス東部はロレーヌ地方の古都ナンシーにあった、修道院の修道女が考え出したお菓子ということから、「ヴィジタンディーヌ」と呼ばれるようになったそうです。

それでは、このお菓子がどうしてフィナンシェの発祥といわれているのでしょうか。それには当時、修道院に飾られていた宗教画の技法「テンペラ画」について語らねばなりません。何よりこの「テンペラ画」という技法、顔料に卵黄や膠(にかわ)を混ぜ合わせた絵具で描かれており、顔料の色目がほぼそのままの発色を見せること、また劣化しにくいことから古代より用いられ、特に中世ヨーロッパではこの技法が主流となっていたようです。そしてこの絵具を作るのには、大量の卵が必要だったというわけです。

卵黄だけを絵具の原料に用いるので、卵白だけが余ってしまいここに策を講じたのが、修道女たちの生活の知恵でした。当時、修道院の戒律はとても厳格で、肉を食べることは固く禁じられていました。ゆえに豊富なタンパク質と高い栄養価の食べ物が求められ、甘い食べものは許されていることから、タンパク質の多い卵白、また栄養価の高いアーモンドパウダー、ここにバターと小麦粉と砂糖を組み合わせて出来た焼き菓子が、この「ヴィジタンディーヌ」だったというわけです。

アーモンドに関しては、16世紀のスペインの修道院では、アビラの聖テレサが肉の代わりにアーモンドを摂ることを進めていたということもあり、この伝播だったように思われます。当時のこの焼き菓子、卵白をメインにすることからも、今のフィナンシェより軽やかでしっとり仕上がっていたとか。焦がしバターではなく溶かしバターだったことも特徴です。

スペインはアビラの修道院、聖テレサのご尊顔

ナンシーといえば、他にも有名な焼き菓子にマカロンがあります。これはフランス王アンリ2世にイタリアから輿入れしたカトリーヌ・メディシスとその料理人がこの地に持ち込み伝えたという説、また信心深い孫である、カトリーヌ・ド・ロレーヌが1624年にこの地に「ベネディクト修道院」を設立した際、ビジタンディーヌ同様の原材料から、胃に負担を翔けずに肉の代替となるマカロンを作って食したという説と諸説ありますが、マカロン発祥は791年、ロワール地方のコルムリーの修道院にすでにあったと聞き及ぶことからも、ナンシーの修道院では、ビジタンディーヌの方が先にあったと推測されます。